山形県の県庁所在地である、山形市。室町期に最上氏により統治されたのが始まりで、江戸期には紅花の流通など商業都市としても賑わった。明治期には県庁が置かれ、近代の都市が形作られる基に。城下町に商都、近代化の拠点という、それぞれの歴史的位置付けから、様々な時代の建物が残っているのが、山形の街の特長といえる。
日本一だった最上氏の居城
城下町の名残をとどめる一番の史跡が、山形駅の西側に広がる「霞城公園」。主に戦国期から江戸期にかけて当地を治めた、最上氏らを歴代城主とした城郭だ。本丸を二ノ丸、三ノ丸で囲む輪郭式の構造で、平城としては姫路城を越える日本有数の規模とされる。堀と石垣、土塁が一部現存し、「二ノ丸東大手門」と「本丸一文字門」が、当時の姿で復元されている。
商都の名残の建物でひと息
霞城公園は山形城のかつての本丸と二ノ丸で、山形駅周辺の中心市街地は三ノ丸にあたる。その東側を南北に貫く羽州街道は、福島から山形、秋田を経由して青森へ至る、奥州街道の脇街道。沿道には七日町、十日町など市日を冠した町が配され、江戸期には交易の要衝として活況を呈した。
街道は現在の「七日町大通り」にあたり、沿道に点在する白壁の商家や土蔵が、商都だった面影を色濃くとどめている。
「紅の蔵」は、藩の御用商人だった紅花商人・マルタニ長谷川家の屋敷と蔵を活用した施設。内部は観光案内所と飲食物販施設になっており、山形大火ののち1904年(明治37年)に建てられた座敷蔵が残っている。
七日町には江戸期に整備された用水「御殿堰」が復元され、飲食物販施設「水の町屋」が整備。土蔵と町屋風の建物が水路沿いに建ち並び、かつての賑わいを伝えている。
レトロモダンな洋館も
山形市は明治初期に県庁が置かれた際、県令の三島通庸が文明開化政策の一環で、近代化の象徴として洋風建築を積極的に導入した経緯がある。七日町大通りの突き当たりは、1916年(大正5年)築の「文翔館」。県庁舎と県会議事堂だった建物で、英国近世復興様式の威風堂々たる建物が圧巻だ。
ほか霞城公園にある山形市郷土館は1878年(明治11年)築、医療施設だった済生館本館の建物を移築している。1階は八角形と十四角形を組み合わせた構造の、ほぼ円形に配した病室が特徴。正面には三層構造の塔屋がそびえる、優美でモダンな姿が印象的な病院建築である。
夜に見る姿もロマンチック
山形市街では晩秋から年初にかけて、市街の各所でライトアップやイルミネーションを実施している。七日町大通りは「光のプロムナード」と題し、沿道が華やかな明かりで彩られる。紅の蔵や御殿堰(ごてんぜき)、文翔館、霞城公園の二ノ丸東大手門はライトアップされ、山形市街の冬の風物詩として人気が高い。
様々な時代を象徴する建築が残る、山形市街。明かりに照らされ夜の闇に浮かぶ姿も見比べて歩いてみると、この街の変遷がより深く感じられる思いがする。