Culture

おさんぽ案内人が行く新潟・村上散歩 伝統の鮭漁と多彩な食文化【動画ライター】


 鮭が生まれた川に帰ってくるのは、川の匂いを記憶しているからだという。人間でも子供のころに遊んだ場所、大好きだった食べ物の味などが記憶に残り、望郷の思いに繋がるのと同じなのかも知れない。

 新潟県村上市にある鮭の資料館「イヨボヤ会館」の展示によると、鮭はブナ林や海藻類などの匂いで、生まれた川を見分けるとあった。市内を流れる三面川には、朝日連峰が生んだミネラル豊富な水が流れており、良質な餌にも恵まれた豊かな環境が、回帰のカギとなる記憶を形成しているようだ。

イヨボヤ会館。村上の鮭にまつわる資料を収蔵・展示
鮭が遡上する三面川。川沿いに中洲公園も整備

ガラスの向こうには本物の川の中

 村上は江戸期に鮭漁の運上金が、藩の財政を賄っていたなど、古くから鮭に支えられてきた町である。獲るだけではなく、当時から鮭を守り増やすことに力を入れていたのも特徴。鮭の回帰性に気付いた藩の武士・青砥武平治により、三面川に「種川」という分流を設け、産卵させて卵を保護する仕組みを築いていたという。

 イヨボヤ会館はこの種川に接していて、施設の地下には川の中を観察できる、生態観察室も設けられている。遡上シーズンには、ガラスのすぐ向こうに上流を目指す鮭の姿が。タイミングが合えばオスとメスが寄り添い、産卵するシーンも見られる。

鮭漁の漁法。定置網や投網も行われていた
生体観察室。オスとメスの見分け方も紹介

伝統の鮭漁を河岸から見物

 現在の鮭の資源保護は、遡上してくる鮭を捕獲して採卵・人工授精して、稚魚を成長させてから放流する方式が主流だ。三面川のイヨボヤ会館からやや下流に、捕獲施設の「ウライ」を設置。両岸を結んだ簾状の柵に遡上を止められた鮭は、両岸に備えた「落とし柵」へ追い込まれていく。

 捕獲された鮭は隣接の孵化場で採卵し、受精処理がなされる。処理された後に販売されることもあるが、なんと丸一尾で数百円という値段。川へ入った鮭は遡上で体力を消耗して、味が落ちてしまうためで、遠路はるばる帰郷してこの価値とは、少々気の毒に思えてしまう。

ウライの右岸側に、孵化場などが設置されている
川へ入り遡上を始めた鮭は体色が変化する

 ウライは江戸期から続く、村上の伝統的な鮭の捕獲方法の一つで、ほかにも「居繰網漁(いぐりあみりょう)」という漁法が継承されている。二艘の木船がハの字の配置となり、間に網を張って川を下っていく。下流側からもう一艘の木船が鮭を上流へ追い込んで、網へ向かわせる仕組みだ。

 漁は10月下旬から11月までの午前9時から操業しており、河岸から間近に見られる。船と船の間が狭まり網が絞られると、数匹の鮭がバタバタと揚げられていく。一回の漁で獲れるのは10匹前後で、これらの鮭も人工孵化用に用いられる。

木船は昔からのもので漕ぐのには熟練の技術が必要
操業はJR羽越線の鉄橋付近まで。所要30分程度行われる

町家の天井から1000尾の鮭が

 鮭は捨てるところがない魚として知られ、村上でも古くから無駄なく資源活用されている。料理には内臓や心臓などのワタ、エラや頭などのアラも使われ、レシピの総数は100種類以上とも。イヨボヤ会館には鮭の皮を素材にした帽子や靴、さらに鮭皮ジャケットも展示されるなど、活用し尽くす姿勢がうかがえる。

イヨボヤ会館には鮭を素材にした工芸品も展示
1626年(寛永3年)創業のきっかわ

 当地の鮭料理の中で代表的な「塩引き鮭」は、内臓をとり塩をして寝かせて干したもの。晩秋には軒先に下がる様子も見られるなど、季節の風物詩としても知られている。

 サケ加工品の老舗「きっかわ」では、明治期築の商家建築の梁から下がる、おびただしい数の塩引き鮭が圧巻。村上城の城下町で武家屋敷が多かった土地柄、切腹をイメージさせる腹開きではなく、背開きで加工する慣わしなのだとか。

きっかわの鮭干し場。あたりに熟成香が充満
店内では鮭の加工品を多数販売している

 ちなみに食用の鮭は、川へ入る前に沖合の定置網で漁獲するものが中心だ。秋から冬にかけては産卵を控えて身に脂がのり、味がよくなる季節。新もののハラコ(いくら)も出回るので、漁の見学も合わせて鮭を味わう村上散歩に、出かけてみてはいかがだろう。

CREDIT
Videographer :カミムラカズマ
Support :のだ ゆうた
Support :モゲ

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