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おさんぽ案内人が行く高知・四万十川散歩 日本三大清流の下流域を訪ねて【動画ライター】


四万十川は全長196kmに及ぶ、四国最長の河川。四国カルスト東南の、標高1336mの不入山に水源を有し、中流域で支流を集め大きく蛇行。下流域の中村付近ではゆったりとした流れとなり、太平洋へ注いでいる。

中村は高知県西部の中心都市で、四万十川の下流域の最寄りでもある。駅前の観光協会にはレンタサイクルが用意され、佐田の沈下橋まで川沿いをめぐるサイクリングが、観光客に人気を博している。

シティサイクルほかマウンテンバイクも用意

町の予算以上をかけて架けられた橋

市街を抜けたところの四万十川橋からが、四万十川沿いのサイクリングの始まりだ。右岸側の具同地区を結ぶ、橋長507.2mの鋼橋トラス橋。橋が架けられた大正15年より前は、この区間の交通手段は渡船のみで、増水による運休や転覆事故の懸念から、古くから架橋が待望されていた。

四万十川は水量が多く流れも速いため、増水時は水没して流出を逃れる造りの「沈下橋」が多い中、四万十川橋は必要性から頑丈な鉄橋として架橋。当時の町の年間予算が9万円だったのに対し、総工費は50万円かかったとされるから、沿岸の住民からの期待の高さが伺える。

四万十川橋はその姿から「赤鉄橋」の愛称も

町の予算以上をかけて架けられた橋

四万十川橋を渡った先からは、入田地区に沿って築かれた立派な堤防の上の道をゆく。四万十川の流域は台風が多い土地柄、古くから洪水も頻発。中村市街付近の河岸には、堤防や護岸が整備され、暴れ川とも呼ばれた河川との闘いを物語っている。

また流量の豊かさから、四万十川は流域の水運にも貢献してきた歴史がある。材木や木炭、椎茸などの上流域の産物は「舟母(せんば)」と呼ばれる帆掛船で運ばれ、河口の下田港を経て関西へ搬出されていた。流れと風力で数10kmを航行、明治〜昭和期の物流を担ったのどかな船である。

河原から流れのそばへ降りられるところもある

車がやってきたら川へ落ちないよう

中村市街から1時間ほどの佐田地区にある、佐田の沈下橋がサイクリングの目的地。沈下橋は欄干がないので、増水時に沈んだ際に水の抵抗を受けにくく、流木などが掛かるのも避けられる。橋の流失や、流れを妨げることで生じる川の氾濫を防ぐ、四万十川の流れの特性に合った仕組みなのだ。

橋脚の緩衝材の青色は漁業者の意見から

一般的な橋では増水時に流されて、その都度架け替えとなる恐れがあるので、四万十川の流域には沈下橋が数多く架橋された。流域の全体で47ヵ所、うち四万十市には9ヵ所あり、佐田の沈下橋は最下流に架かる、全長291.6mで最長の沈下橋である。

幅員は4.2mほどで、渡り始めは欄干がないのに慣れないので、おっかなびっくり進む。地元の生活道路なので、車や自転車にバイクが行き交い、慣れた様子で中ほどを走っていく。途中2ヵ所ほどにやや幅広い部分が設けられ、車が通る際は歩行者はここでやり過ごす。

自転車は降りて押すのがルール。ゆっくり慎重に

天然のウナギやアユも川の恵み

流れが急になる川瀬付近は川魚漁の漁場で、瀬に立てた簾でゴリを籠へ追い込む「上り落としうえ漁」や、餌を仕掛けた筒でうなぎを獲る「ころばし漁」の仕掛けが見下ろせる。四万十川では伝統漁法が継承されていて、ほかサザエの貝殻を引きゴリを驚かして獲る「ガラ引き漁」、石を積んで作ったウナギの住処をくずして追い込む「石ぐろ漁」など、自然と調和した漁法なのが特徴である。

市街の川魚料理の店ではアユやウナギ、ゴリが味わえる

沈下橋は清流であり急流の四万十川を実感できる、素朴な橋。最後の清流と称される川をたどると、水辺の潤いや広がる緑とともに、流域に住む人達と四万十川との古くからの関わりも、様々な形で感じ取ることができるはずだ。

今回の高知編、フル動画はこちらから視聴できます。

CREDIT
Videographer :カミムラカズマ
Support :のだ ゆうた
Support :モゲ

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