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おさんぽ案内人が行く『どうする家康』静岡散歩、幻の駿府城天守と大河ドラマ館【動画ライター】


天下人となった徳川家康は、今川義元の人質だった幼少期、駿河を領国とした中年期、江戸幕府将軍から退いて「大御所」となった高年期を、静岡で過ごしている。市街の中ほどに位置する駿府城には、それぞれの名残をとどめる史跡が見られ、家康の足跡をたどりながら散策ができる。

三層二重の辰巳櫓。珍しいL字型の造り

かつて囚われた館の後に建つ居城

駿府城がある地は、もとは駿河国守護今川義元の居館があった場所。家康は45歳の時に武田氏を退け、この場所に城郭を築き1585(天正13)年に浜松城から移った。そして現在の縄張はほぼ、64歳で大御所となり駿府に戻った慶長年間に、天下普請されたものである。

東御門は鉄砲櫓が設けられた桝形門

城郭には三重の堀が施されていたが、現在は外堀は半分ほど埋められ、ほぼ残る二ノ丸堀の内側が駿府城公園として整備されている。

当時の遺構として東御門と巽櫓、坤(ひつじさる)櫓が復元。元江戸幕府将軍の居城のため、櫓と言えども小藩の城の天守ぐらいの大きさはあり、東御門も江戸城の大手門を思わせる規模だ。

本丸を囲んだ本丸堀の一部も復元

江戸城に負けず劣らずの大天守

駿府城にはかつて、本丸に五層七階の天守がそびえ立っていたとされ、2016年8月から天守台の発掘調査が行われている。調査エリアを背にして、鷹狩りに興じる家康像が立っており、天守の調査を見守っているかのようにも見える。

鷹狩りに興じる家康像。そばには御手植とされるみかんの木も

家康が大御所として駿府城に入った際の大修繕工事は「慶長の天下普請」と呼ばれているが、興味深いのはその前と後で天守の規模が異なること。調査エリアに入って右手の一角が天正期の天守台、そしてほぼ全域が慶長の天下普請の際に造られた天守台の跡地にあたる。

天守台は城郭の北堀と西堀に面した位置に設けられていて、四隅それぞれには櫓が配されていたとも。さらに慶長期の天守は複数の小天守も擁していたといわれ、姫路城に見られる連立天守のような勇壮な姿だったのかもしれない。

発掘調査は公開エリアであれば見学可

数奇な運命をたどった天守の姿やいかに

慶長年間の天守は1635(寛永12)年に火災で焼失した後、再建されることはなかった。戦乱のない天下泰平の世となったのが理由とされており、奇しくも家康が将軍として住んだ江戸城の天守と、同じ運命をたどっている。

現在は発掘調査エリア内に、出土品などを展示する「発掘情報館きゃっしる」が仮設され、金箔入りの瓦などが見られる。発掘現場とこれら史料を見て、家康の威光が感じられる往時の縄張と荘厳な天守の姿を、頭の中で思い描いてみてはいかがだろう。

大河ドラマの世界に浸るドラマ館へも

さて、2023年に静岡を訪れるなら、駿府城公園からすぐの静岡浅間神社へもぜひ足をのばそう。

駿河国総社で徳川歴代将軍の祈願所でもある古社で、漆塗りが鮮やかな楼門、高さ25mの浅間造の大拝殿、華やかな立川流彫刻が施された御本殿など、徳川家の栄華を彷彿とさせる豪壮な造りに圧倒される。

静岡浅間神社の楼門。2020年に塗り替えたばかり ©︎風来堂
静岡浅間神社の御本殿。浅間神社と神部神社が配されている ©︎風来堂

そして、境内には「どうする家康 静岡市 大河ドラマ館」が設けられている。2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」の、物語の世界観をはじめドラマにまつわる様々な情報を発信。

2024年1月28日までの公開なので、駿府城公園とともに訪れて大河ドラマの家康像にも触れてみれば、この時期ならではの静岡散歩が楽しめるだろう。

どうする家康 静岡市 大河ドラマ館。建物はかつての文化財資料館 ©︎風来堂
家康と瀬名の衣装(レプリカ)などドラマの衣装や小道具も展示 ©︎風来堂


今回の静岡編、フル動画はこちらから視聴できます。

CREDIT
Videographer / Writer :カミムラカズマ
Support :のだ ゆうた

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