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身体改造カルチャーの最先端を追い続けて20年以上、今回は縄文土偶の野焼き体験をご紹介する。
タトゥーやピアスを含む、身体改造のジャーナリストとして世界の最先端の現場をレポートしてきたが、近年は古代のタトゥーや身体改造もリサーチしている。
そんなに古い時代からタトゥーや身体改造があったのか?
そんな疑問を持つ人もいるかもしれない。だが、5300年前の人類最古級ミイラ、アイスマンは全身61ヶ所にタトゥーをしている。また、縄文時代には歯の抜歯が盛んに行われていたことや巨大な耳飾りが多数出土していることから大きなピアス穴を開けていたこともわかっている。(※1)
筆者はそのような問題に具体的に取り組んでおり、タトゥーアーティストの大島托と推進する縄文タトゥー復興プロジェクト「縄文族 JOMON TRIBE」では現代人をモデルに縄文の文様を身体に彫り込むことに挑んでいる。
また、梅之木遺跡で竪穴住居を復元するボランティアに参加したこともある。
さて今回は、神奈川県にある「学び舎・たちばなの木」にて、美術家・松山賢さんが講師を務める「土器・土偶づくりワークショップ」に参加した。
取材したのは2021年夏、近所の子供たちや市民の方々に混ざって、汗だくになりながら粘土を練って形を作り、別の日には一日がかりの野焼きにも立ち会った。そんな縄文土器や土偶づくりの現場からお届けする。
実際に作ってみて考える、土偶の装飾はやっぱり身体改造だったのか?
講師を務める美術家・松山賢さんは、現代美術をベースとしながらも縄文をテーマにした野焼き作品を多く手掛けている。
ワークショップは最初、粘土をよく練るところから始まった。これを怠ると粘土のなかに空気が入って、野焼きの際に破裂する可能性があるという。
早番3時間と遅番3時間を合わせた一日コースにしたが、装飾の難しさを考えると、前半にのっぺりした人型までは仕上げてしまわないと間に合わない。
野焼きは火を使った儀式の如く、土器や土偶は文様を施されることで生命を吹き込まれた
後半は、ヘラや棒を使って、自分が作った土偶に装飾を施していった。今回、筆者が参考にしたのは三内丸山遺跡から出土した《大型板状土偶》であった。オリジナルを模して、耳にはピアス穴を開け、顔面に線刻を施し、身体には縄目を当てて、縄文の文様を施していった。
縄文土偶の装飾は、入墨(タトゥー)や瘢痕文身(スカリフィケーション)ではないかと、アカデミックの世界でも明治時代から議論となっていた。しかし、戦後になってからは、土器の編年研究(出土した土器の文様と年代を整理し、縄文時代を土器の文様を通じて理解しようとした)が主流となって、縄文時代における身体装飾についての議論は進まなかったという。(※2)
そのことが昨今のファッションとしてのタトゥーの流行に後押しされて、再び問い直されてきていることは興味深い。
受講者たちが作った土器や土偶は約2週間ほど自然乾燥させたのち、野焼きをして完成となる。
ワークショップの野焼きは、大きな炭火コンロを用いて行われた。最初はゆっくりと温め、粘土をさらに乾燥させる。2時間くらい炭火に当てると茶色ぽい粘土は白くなる。
十分に乾燥が済んだら、高温で焼いて仕上げることとなる。土偶や土器の上に熱した炭をどんどん乗せていき、横からドライヤーで空気を送ると炭が真っ赤に熱して炎を上げ、30分ほど強火に当て、炎に包まれた部分は黒く変色する。
今回、筆者が作った大型板状土偶を真似た土偶は、全体の寸法を本物とほぼ同じにすることに拘った。そのため全長30センチ、中空ではないのでズッシリと重い。実際にそれを真似て土偶を作ってみると、それぞれの装飾は身体改造であっただろうと実感させられる。まっさらの粘土の人型の顔や身体に文様を刻む行為はまさしく身体改造を施しているような気分で、装飾を施す行為は土偶に生命を吹き込んでいるようでもある。
火を使った野焼きの儀式性も相まって、土器や土偶づくりはその行為そのものが儀式のようである。実際、土偶は儀式のためと使われていたと言われており、この土偶のモデルは胸やおへその状態から妊婦であろうと思われる。そればかりか、実在のモデルの身体に土偶のような装飾が施されていたなら、縄文時代にはタトゥーや身体改造が非常に盛んであったと考えられる。
文字がない時代だからこそ、実際に作ってみることで縄文人の世界に近づくことができると思うのだ。
やっぱり縄文は最高だ!