Culture

ケロッピー前田のある一日、縄文時代のタトゥーを現代に復活させる展覧会にて

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「ケロッピーさんって、毎日何をされているんですか?」とbouncyの担当編集者に聞かれるので、2021年9月14日~28日にかけて開催した縄文タトゥー展覧会「JOMON TRIBE 2」展に来てもらった。

展示会場となったのは、新宿のビームスジャパン4階。昨年3月に続いて、2回目の展覧会となったので「2」となっている。

JOMON TRIBE : Tattoo by Taku Oshima Photo by Keroppy Maeda

これは、筆者がフォトグラファーとしてタトゥーアーティストの大島托と推進するアートプロジェクト「縄文族 JOMON TRIBE」で、「縄文時代にタトゥーがあったのか」という問題に対して、縄文の文様をタトゥーとして現代人の身体に彫ってみることで回答を試みている。

というわけで、今回は、そんな縄文タトゥー展覧会の現場からお届けする。

タトゥーアーティストの大島托

縄文遺跡を訪ね、考古学者の意見も聞いて始まった



「タトゥーのデザインはどうやって決めているんですか」と聞かれることもよくある。

タトゥーのデザインは、タトゥーアーティストの大島托に任せているが、プロジェクトを始めるにあたり、北海道の縄文遺跡を訪ね、考古学者の大島直行先生にもご意見をいただいている。

北黄金貝塚

また、ロシアのタトゥーしたミイラや、「アイスマン」の愛称で知られ、全身61ヶ所にタトゥーをしている5300年前の人類最古級のミイラも実際に取材している。

そのような調査をした上で、縄文時代のタトゥー復興プロジェクト「縄文族 JOMON TRIBE」を立ち上げている。その詳細は、拙著『縄文時代にタトゥーはあったのか』(国書刊行会)を見て欲しい。

また、僕らがこのプロジェクトを始めるに当たって、非常に貴重な資料となったのが、1969年に出版された考古学者・高山純の『縄文人の入墨』だった。高山は明治以降の考古学でのタトゥー論争を総括し、縄文の土偶に刻まれた文様はタトゥーであろうと結論づけている。

僕らはさらに進んで、縄文土器の文様も含めて、縄文時代のあらゆる文様をモチーフしている。また、現代人の身体に彫るのであれば、現代的に見てもタトゥー作品として素晴らしいものであるべきと考えているので、黒の面積が多い、「ヘビーブラック」に仕上げているものもある。

JOMON TRIBE : Tattoo by Taku Oshima Photo by Keroppy Maeda

抜歯や巨大耳ピアスもしていた縄文人



それでも、日本は火山が多く酸性土壌のために皮膚がミイラになって残ることは難しく、はっきりとした物証がないため、縄文時代のタトゥー論争は結論の出ないままとなってきた。

それでも、出土した人骨から縄文人の多くが抜歯を行っていたことや、巨大な耳飾りから大きく拡張した耳のピアス穴を持っていたであろうことがわかっている。そのような身体改造もしていたのなら、タトゥー もあっただろうと考えられる。

・ ・ ・



縄文時代は、1万5千年前に始まると言われている。そんな古くからこの日本列島で身体改造文化が栄えていたとするならどうだろう。

太古の昔と今がつながる身体改造。なんだかワクワクしませんか?

JOMON TRIBE : Tattoo by Taku Oshima Photo by Keroppy Maeda
CREDIT
Videographer / Writer / Cast :ケロッピー前田
Support :のだゆうた

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