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知的障害者らが働く職場作りに奮闘していたら、自分も病を患い身体障害者になった……。人工肛門を使うオストメイトの青野真幸さんは、そんな経験を持ちながら、とある企業の社長を務めている。「障害者になり、当事者は複雑なものだと感じた」「障害は向き合うしかない」。青野さんの気づきと思いを、職場にお邪魔して聞いた。
口に運びたくなるセッケン
みずみずしさを感じるイチゴ、見るだけで口が酸っぱくなるグレープフルーツ。色々なベリーが詰まり、心踊るフルーツキャンディバー……。
「頂きます」と断って口に運びたくなるが、現実にはできない。これら果物は、実はセッケンだからだ。
このセッケンを作っているのが、青野さんが社長の株式会社リンクライン。都心から電車で2時間ほどで到着する神奈川県小田原市にある。
特例子会社の取締役に
青野さんは、2010年のリンクライン設立時から関わっている。元は親会社コムテックのグループ経営戦略室長の要職にあった。
当時のコムテックは、障害者の法定雇用率を達成できていなかった。直接雇う形も模索したが、最終的には障害者の働き方に配慮した特例子会社としてリンクラインを立ち上げた。
現会長の神原薫さんと準備をしてきたことから、青野さんはリンクラインの取締役になった。
「奇跡のセッケン」に成長
当初は仕事がない、セッケンを作っても売れないなど苦労の連続だった。しかし、雇った障害者たちと地道な努力を続けたことが実を結んでいく。
OEM(相手先ブランドによる生産)の受注を伸ばしつつ、2016年には自社ブランド「li’ili’i」(リィリィ)を立ち上げた。
先に紹介したフルーツキャンディバーは、リィリィの人気商品だ。手作りで仕上げる品質の高さから「奇跡のセッケン」と評判になった。
病気で身体障害者に
リィリィを立ち上げ、リンクラインの可能性に自信を持ち始めた矢先、青野さんに異変が生じた。
2017年6月下旬、尿が濁る、ガスが出るなどの異変が起きた。S状結腸と膀胱が癒着し、穴が開いた状態だった。2017年7月~2018年5月にかけ、4度の手術を受けた。
入院生活では、妻の真由美さんが支えとなった。しかし、完治することはなく、人工肛門を使うオストメイトに。2018年12月、身体障害者手帳を取得した。
「日本一明るいオストメイト」
青野さんは従来から職場の仲間に頻繁に冗談を飛ばし、気さくに話しかけてきた。クリスマス会を開いた時には、サンタクロース姿で登場したこともある。
それはオストメイトになってからも変わらない。リンクラインを共に引っ張ってきた神原さんは、「自他共に認める日本一明るいオストメイト」と表現する。
その一方で、次のようにも語った。
「でも、人には言えない本当の苦しみ、つらさが絶対にある。それを見せずに、障害者と共に生きていく姿勢を見せている、今の青野さんは格好いいなと思う」
「障害は向き合うしかない」
青野さん自身、障害者になり多くの気づきがあったと語る。リンクライン設立が2010年で、青野さんが身体障害者手帳を取得したのが2018年12月。この間、毎日のように障害者と接してきたが、当事者になって見えた風景は違った。
「障害を持っている人の気持ちを分かっているつもりでも、当事者でないとやはり分からない。(障害者に)なってみて、もっと複雑なものだと感じた」
「障害は向き合うしかなくて、障害に勝つとかはない」
こうした気づきの先に、青野さんは自らやるべきことを見つけている。
「年齢を重ねて老いる中、得意なことをどんどん生かせるようにするのが大事。(職場スタッフの)それをしっかりと見つけてあげるのが、僕の役割」
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障害当事者として、障害者雇用の最前線に立つ。「日本一明るいオストメイト」が、障害者雇用の未来を変えるのかも?