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奈良市の西部に位置する西ノ京は、かつての平城京の西側にあたる。のどかな田園風景が広がる中、古墳や大寺が点在し、いにしえの都の面影を色濃く残している。それらをたどって歩けば、千数百年の時を超えて息づく大和路の歴史を、感じることができるだろう。
近鉄尼ヶ辻駅から歩き始めてすぐに、巨大な宝来山古墳が姿を現す。4世紀後半頃の築造と推定され、第11代垂仁天皇の陵墓に治定。陵墓の全長は227m、周濠を含めると330mに及び、規模は全国で20番目とも。その圧倒的な存在感は、周囲の穏やかな風景の中で、古墳時代の王の権威を象徴しているかのようだ。
この果実が現在の橘とされることから、田道間守はお菓子の神様「菓祖神」とも。拝所の石碑には「菓祖神田道間守命御塚拝所」と刻まれ、今も製菓関係者からの信仰を集めている。
鑑真和上は、東大寺で授戒制度を整えた僧としても名高い。僧侶が守るべき規則「戒律」への誓いを立てる儀式のことで、僧が仏教徒としての自覚と規律を、明確にするための仕組みを確立したことが、その後の日本の仏教の発展に寄与しているといえる。
唐招提寺は、平城京の旧新田部親王邸があった地に創建され、後に和上を慕う人々の支援により、金堂や講堂が次々と建立。平安初期に全体が完成し、現在も当時の面影を残す壮麗な伽藍が参拝者を迎える。
南大門をくぐると、8世紀後半の姿を残す金堂が姿を現す。正面の吹き放ちが開放的な寄棟造の建築で、堂内には盧舎那仏坐像が鎮座。隣接する講堂は、平城宮の東朝集殿を移築改造した、当時の都の様子を思わせる建造物。天平期の境内を彷彿とさせるこれらの堂宇は、当時の高い建築技術を現代に伝えている。
境内の北側には、鑑真和上の御廟が静かに佇む。杉木立の中に苔むした地面が広がる空間は、開祖が眠るのにふさわしい、静謐な空気に包まれている。初夏には鑑真和上の故郷である中国揚州市から贈られた瓊花が咲き、夏には池のハスが見事な花を開く。大和と中国にゆかりある、豊かな自然に囲まれた、祈りにふさわしい場所である。
1528年(享禄元年)の火災で多くを失ったが、1968年(昭和43年)から始まった写経勧進により、白鳳伽藍が復興。金堂や西塔、大講堂などが次々と再建され、裳階がつけられた堂塔が並ぶ「龍宮造り」と呼ばれる壮麗な伽藍は、白鳳文化の華やかさを象徴している。
伽藍最大の建造物である大講堂は、法相宗の教えを学ぶ道場。本尊には弥勒如来が祀られ、現在も論義法会が行われている。さらに進むと、1981年(昭和56年)に再建された西塔が見えてくる。三重塔でありながら、飾り屋根の裳階を持つため六重に見える独特の姿は、往時の美しさを忠実に再現したものだ。
西塔と対をなす東塔は、730年(天平2年)造営と伝わる平城京最古の建造物。高さ33.6mを誇り、西塔の連子窓に対し、東塔は白壁となっているのが特徴だ。長い歳月を経て醸し出された枯淡の美しさは、新しく再建された西塔と見事な対比を見せている。
はるか昔から守り続けられ、人々の篤い信仰心から復興を果たした、西ノ京に点在する二つの寺院。田園の名刹を巡る道すがら、ふと足を止めて空を仰げば、古の人々と同じ風、同じように流れる時間を、感じられるように思える。
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