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東大の稲見教授らが語る「人間とサイボーグが共存する世界とは?」

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『アバター』『タイタニック』のジェームズ・キャメロンが日本の伝説的コミック「銃夢」を映画化した『アリータ:バトル・エンジェル』。



公開を記念して、光学迷彩などを研究する東大の稲見教授、乙武洋匡の義足プロジェクトで義足開発を行う遠藤氏、電子部品を造るタイコエレクトロニクスジャパン合同会社 シニアディレクターの白井氏の3名が、映画のような人間とサイボーグが共存する社会について、15分間のトークショーを行った。

人間とサイボーグが共存する社会とは

ーー稲見:まず初めにサイボーグの定義とは?ーー


遠藤:生物を構成する有機物と、人工物とが混合した生命体がサイボーグだと思っています。

白井:生まれ持ったものでない体、だけど意のままに操ることができる、それがサイボーグだと思います。

稲見:サイボーグには色々な定義があると思うんですけど、学術論文で一番最初に出てきたのが、1960年に書かれた「サイボーグと宇宙」。

その中では、将来的に、人類が宇宙を開拓した後、宇宙で生きていくために、自分たちが新しい人工的な臓器を身に着けることで、活躍できる範囲を広めていくと書かれています。

そういう意味では、お二人の意見は、方向性として大まかな違いというのはなかったですね。

稲見:ではサイボーグを作るときに必要になるであろう技術や、これはまだ難しいのではというものがあれば教えてください。

遠藤:ここにある義足もサイボーグの一部です。

僕は、ロボットなどの動くものを中心に作っている立場なので、その観点から話しさせていただければ、人間はやはり凄いなって思います。

人間は筋肉で、骨を引っ張って動かしています。それを義足で再現しようとすると、モーターでどうしても重くなってしまいます。大きいモーター使えば、もちろんパワーは出ますが、大きくなってしまうと重くなり、逆に動きづらくなります。

人工物で人間の足を作ることは、簡単には出来ないのです。

今、私は乙武プロジェクトの足を作っていて、ここにあるのはその前のバージョンの足なんです。みなさんも、もしかしたら見たことあるかもしれないんですけど、これで歩くだけでもいっぱいいっぱいなんですよね。

なのでまだまだ現時点では、モーターのパワー・バッテリーなど、全てにおいて人間には到底及ばないです。でも今後、色んな所でイノベーションが連発すれば、人間に近いサイボーグが実現するだろうなっていうのが今の僕の感覚です。


稲見:乙武さんサイボーグ化計画はもう始めてらっしゃるんですね!

遠藤:人類最強は乙武さんだ! と言われるのが、僕の目標です。

白井:遠藤さんと同じ意見で、人間って本当にすごいなって思います。

コネクティビティの会社なので、神経系の話になりますが、高密度の中で脳の一つ一つの回路とそれから触覚系であったり、筋肉だったり、非常に微細なレベルでしかも正確にフレキシブルに繋いでいく技術は人間のすごいところです。

そこまでを技術として到達するのは、まだまだ非常に難しい。ただしそれが出来ないと、本当の意味でのサイボーグの実現は難しいと考えてます。

稲見:私は学生の頃、ロボコンに参加していたのですが、ロボットって練習すればするほど、壊れていくんですよね。でも人間は、動けば動く程、強くなるじゃないですか。それって、今ある素材ではなかなかたどりつけなくて、全く新しい革新が必要なのではと感じています。

ーー稲見:もし将来サイボーグが実現したとして、我々人類と共存するとなったとき、社会はどういう風に変わっていくべきだと思いますか?またサイボーグが受け入れられる社会にはどういう条件が必要だと思いますか?ーー


遠藤さんは、サイボーグが街中で歩いてる社会を作りたいわけですよね?

遠藤:はい。 色々な観点があると思うんですけど、乙武さんのプロジェクトで感じるのは、義足を見て、びっくりする人が多いんですよね。

我々人間は、違和感があるものに対して、驚きます。それが次第に慣れていき、違和感が薄れていって、定着化していきます。これって、サイボーグに限ったことではなくて、いろんなテクノロジーでも起こってきたことですよね。車やメガネでも起こっていたと思います。

それと同じように、社会が義足やサイボーグを受け入れていくプロセスがこれから起こると思っています。

稲見:遠藤さんとお話しするとき、メガネの例をよく話すんですけど。メガネも、出てきた時はハイテク機器だったわけですよね。

それが、最初は違和感があったかも知れないですが、100年もしないうちにファッションとしての伊達メガネが出てきました。

技術が世の中に浸透するというのは、そういう側面が、必要かなとも思いました。

白井:私は、サイボーグが普通に見られる世界を非常に楽しみにしています。なぜかというと、私の周りの方でも、歳をとられて動きが十分にできなくて、能力があっても外に出られない方々がたくさんいらっしゃいます。

それを解決できる日が、サイボーグが一般的になれば来るんじゃないかと期待しています。

ただ、その日が例え来たとしても、サイボーグの恩恵に預かれる方と、そうじゃない方の差が出てくるといった問題も起こると思います。


遠藤:インターネットがある地域とない地域で、格差が生まれるという「デジタルデバイド」が大きな社会問題になっています。途上国はまだまだ電気がないところも多いので、格差が生まれるんですよね。

サイボーグやテクノロジーが広がれば、世の中が必ず良くなっていくと思われがちですけど、格差も生まれていきます。なので、裕福な国が貧しい国を救うという倫理観がこれからさらに求められていくと思います。

稲見:テクノロジーというのは、誰もがアクセスできるようにならないと、本当に世の中が良くならないということですよね。

白井:自動車の登場の時も同じような状況だったと思います。自動車が世界中に広がって、みなさんがその恩恵に預かれる。そういう風に、サイボーグもなっていって欲しいですね。

稲見:では逆に、皆さんがサイボーグ化できるようになった時、人間という定義はどうなると思いますか? 私にとって、メガネはもう体の一部です。私の生身の人間は、服を着ない私なんですけれども、そんな格好で人前に出ては、大変なことなってしまうわけですよね。つまり服も含めてた私が、社会的な私と認識されている。

遠藤:サイボーグ化というのは、眼鏡や服のように、これまでに起こってきたことの延長 で、さらに体の近い部分に入り込むイメージです。なので、サイボーグ化といっても感覚的には今と変わらなくて、ほんの少し便利なものが身の回りに増えていく、くらいすごい楽観的にみてます。

稲見:今回のテーマ「人間とサイボーグが共存する世界は一体どういうものか」 まとめると、テクノロジーというものは、人間の可能性をどんどん広げていってくれる。それをサイボーグというのは、支えていくかもしれない。

一方で、それがある特別の人のものだけであってはいけなくて、様々なテクノロジーの進展とそれを世の中にあまねく広げることによって、みんなそれぞれが独立したオリジナルな生き方を目指すことができる。それがもしかすると人とサイボーグが共存する社会かなという感じもしました。

ーー稲見:最後に一言何かあればどうぞ!ーー


白井:今回、『アリータ:バトル・エンジェル』の映画を見る前に、改めて原作である「銃夢」を読んで思ったのは、普段は即日的な、今日の技術をやってるんですけれど、まだまだ遠い到達点が技術にはあるなと、もっともっと未来のことを考えなきゃいけないなと思いました。

電子部品業界もさらに、技術を高めていかなきゃいけないなと改めて感じました。


遠藤:我々はみんな似た感覚を持ってるに違いないとか、あとはちょっと自分と違う人を見るとそれを批判するような姿勢をとる。それが人間の進化のボトルネックだと日々感じます。

一人一人が幸せなら、他の人と一緒にある必要もないですし、自分が幸せになるためには別に自分さえ幸せと思っていれば満足できるという感覚。テクノロジーの進化とともに、人間の感覚の進化も求められていると思います。

稲見:我々のトークショーの前に、このアリータは600年後の話で、その時のことはまだよく分からないとか、我々は見ることもできないみたいなことをお話しされていたんですけれども、そんなに遠くない将来に起こりうるこもあって。

例えば、一人称としての肉体は消えてしまったとしても、ソーシャルメディアとかのやりとりとかを全部記録しておくことで、他者から見たときの我々っぽい反応するような人工知能みたいなものを作ることは、そこまで SFの先の先の話ではない。

そういう意味では多分我々自身が一部ずつでも、近い将来プチサイボーグになって、未来を作って行きますし、それをみなさんともに眺めていきたいと思っています。

・ ・ ・



『アリータ:バトル・エンジェル』の世界が急に訪れることはないと思うが、稲見教授の最後にいっていた言葉は、まさにNetflixの「ブラック・ミラー」の世界だった。

テクノロジーをうまく使うも、悪く使うも私たち次第。

見たこともない未来的なものを初めから否定的にとらえずに、bouncyでももっと明るい未来を伝えられたらと思った。

『アリータ:バトル・エンジェル』

20世紀フォックス映画


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