Culture

おさんぽ案内人が行く東京・築地場外市場 寺町の名残と市場の鎮守を訪ねて【動画ライター】


世界一の卸売市場と称された東京都中央卸売市場、通称「築地市場」が、2018年11月に豊洲に移転した後も、食の集積地としての賑わいを見せている築地場外市場。水産物を中心とした食事処や小売店が建ち並ぶ市場街だが、古くは築地本願寺と密接な関わりがあった歴史がある。

築地場外市場の中心街・波除通り
仲卸業者の店が入る商業施設の築地魚河岸

干潟を埋めて築いた地に市場が移転

築地本願寺は浄土真宗本願寺派・京都西本願寺の直轄寺院で、1617(元和3)年に浅草そばの日本橋横山町に創建。明暦の大火で全焼したため、江戸の区画整理で江戸幕府から代替地として与えられた築地へと移転してきた。

当時の築地は隅田川河口の干潟で、移転に際し佃島の信徒が中心となって、12年がかりで界隈を埋め立てた。文字通り干潟に築かれた土地が築地の地名の所以で、築地本願寺はまさに築地の町発祥の寺院なのである。

築地本願寺の本堂は当初は築地場外市場がある側を向いていて、築地場外市場は境内地として寺中寺院58ケ寺が集まる寺町だった。関東大震災で界隈が壊滅した後に、これら寺院は順次郊外へ移転していったのに対し、昭和10年には魚市場が日本橋から築地へと移転してきた。これを期に寺町は、次第に場外市場へと変貌していった。

築地本願寺

水産物の店が並ぶ街に鐘の音が響く

そのような経緯から、築地場外市場を歩くと寺町だった当時の面影が垣間見られる。アーケード商店街の「もんぜき通り」は、築地本願寺を直轄する京都の西本願寺が、格式の高さを示す準門跡寺院だったことが名の由来。市場の中央を縦断する築地中通りはかつては築地本願寺の表参道で、当時は桜並木が続き花見の名所だったともいわれている。

そして築地場外市場には、浄土宗の寺院が4ヶ寺現存している。晴海通りの手前に構える圓正寺は、銅板葺と唐破風が古風な佇まいを見せている。建物は昭和6年再建で、市場の店舗が堂と一体となった造りが独特だ。

妙泉寺は対照的にビル内にある近代的な寺院で、4階に阿弥陀如来を祀る本堂が。屋上の鐘楼は付近の通りから見上げられ、鐘の音が場外市場に響き渡る。

圓正寺。狭い境内には墓所もある
妙泉寺の鐘楼。圓正寺そばから見上げられる

海と食の神様は牛丼にもご縁が

寺院のほかにも、晴海通りから波除通りを入った奥には、築地市場の鎮守の波除神社が構えている。江戸期に行われた築地の埋め立てが荒波で難航した際、海の中を流れてきた稲荷像を祀ったところ、波が静まり工事が進行。これが波除神社の名の所以で、航海安全や厄除けなどの神として信仰されてきた。

境内には「獅子祭」と呼ばれる祭礼で巡行する、厄除天井獅子とお歯黒獅子の2台の獅子頭が安置。市場に近い神社らしく食材の供養塚が並び、アンコウに活魚といった魚霊供養のものや寿司、エビ、玉子などのものも。これらは卸店や料理店など関連団体が奉納しており、築地市場内に1号店があった、牛丼の𠮷野家の奉納碑も並んでいる。

波除神社。かつての築地卸売市場の門のそばにある
波除神社境内にある𠮷野家の奉納碑

築地場外市場の成り立ちに関わる、食の街の一角で見つけた寺社の数々。食べ歩きとともに巡って、築地場外市場の歴史の深さに思いを馳せてみてはいかがだろうか。

今回の静岡編、フル動画はこちらから視聴できます。

CREDIT
Videographer :カミムラカズマ
Support :のだ ゆうた
Support :モゲ

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